2009年6月3日水曜日

仏教の無限観

こんばんは。

会長の永原です。

私は理系の人間です。

反証が可能でない(間違っていることを証明することができない)仮説は
科学的でないということは理解できているつもりです。

ですが、あえて、誤解を恐れずに、
今回は、仏教における「極楽」(阿弥陀様の住む世界)までの距離に関する考察をしましょう。


西方十万億仏土を過ぎたところに、極楽と名付けられる世界がある
(冥途の旅はなぜ四十九日なのか、柳谷晃、青春新書、原典:阿弥陀経)


この「十万億仏土」という距離がどのくらいの距離なのか。
全く想像ができませんが、上記の著者によると、

 十万億仏土=10000000000000000000光年(0が19個)

となるらしいです。

宇宙物理学によりますと、宇宙の広さ(注:物理的に観測できる宇宙の広さ)は
470億光年=4.7×10の10乗。
それよりも約2億倍遠くに極楽浄土がございます。

昔の人は、このようなとてつもない距離を定義して、何を表現したかったのか?

それはすなわち、極楽浄土への距離は無限である(誰も行けません)
と言いたかったわけです。

このように誰も行けないような距離にあるところに一歩でも近づこうと、
お坊さんは修行するわけですが、
1+1+1+...
といくら足していっても、一向に有限の値であり、
それを知りつつも毎日毎日修行をするというのは、どのような気持ちなのでしょうか。


さて、近代数学は、無限という概念の発見により、大いに発展しました。
微分・積分法の発見です。
これが、ニュートンの時代ですから、17世紀。

それよりはるか昔に、上で述べたような無限の概念があったことは驚くべきことです。

そして、もっとすごいのが、親鸞。
彼は「南無阿弥陀仏」と唱えることにより、死んだらすぐに極楽へ行けると唱えました。
これは、数学の「一点コンパクト化」(無限に拡がる平面をくるっと丸めて球にし、
無限遠点を北極点に対応づけたもの=リーマン球面)を想起させます。


仏教には、数学的な考え方が根底にあるようです。


遠方から超交流会に参加される方は、ぜひもう一日京都にとどまり、
お寺さんで「無限」に思いをはせてみてください。

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